GOLDBERG VARIATIONS
バッハの原譜にない旋律を書き加え、原曲のリズムを変容させ、現在のクラシック録音の常識では考えられない異例の準備期間と録音日数を費やした、5本のサキソフォンと4本のコントラバスのための『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』。サラマンカホールで収録された膨大な量の音楽データが、清水靖晃&サキソフォネッツの凄まじいまでのエネルギーと情熱を端的に示している。
Almost two decades after Yasuaki Shimizu’s Cello Suites sent shockwaves through the Japanese music world, Yasuaki Shimizu & Saxophonettes’ Goldberg Variations tackles totally new territory in the ongoing pursuit of the musical ménage à trois of Bach – saxophone – resonant space. Featuring an accentuated bassline with four commanding contrabasses, and five saxophones weaving polyphonic magic, Shimizu’s extensive arrangements create new counterpoints and harmonies in a bold “recomposition” of the Goldbergs – in both senses of the word. Here is the long-anticipated unveiling of a glowing, euphoric paean to Bach’s masterpiece.
Yasuaki Shimizu’s revolutionary interpretation of the Goldberg Variations for five saxophones and four contrabasses thrilled audiences with its intricate tonal mandala in the 2010 world premiere at Sumida Triphony Hall in Tokyo. But he didn’t stop with the live performance. Drilling deep into his Bach experience, he honed his arrangements and redoubled rehearsals before reassembling the band to record the epic work in the exquisitely resonant Salamanca Hall in Gifu. Indeed, the Saxophonettes play the acoustics of the hall as if they were another instrument.
CDジャーナル|2015年4月14日
ぶらあぼ|2015年4月18日
イントキシケイト|2015年 vol.115
リアルトーキョー|2015年5月16日
Yahoo! ニュース|2015年5月22日
はじめに
今から20年前の1990年代半ばまで、サキソフォンでバッハを演奏するという行為は、現在のような市民権を得ていなかった。いや、より正確に言えば、マルセル・ミュールのバッハのアレンジ譜などは以前から存在していたけれど、それらはどちらかと言えば、学生の教育目的と、近現代曲に偏りがちなクラシック・サキソフォンのレパートリー拡充という意味合いが強かった。発明者アドルフ・サックスが誕生してから、たかだか200年しか経っていない、サキソフォンという若い楽器でバッハをやることの意味を考え抜いたプレイヤーは、20世紀末まで全く存在していなかったと言ってよいだろう。
そうした状況の中で、清水靖晃&サキソフォネッツの『チェロ・スウィーツ1.2.3』(1996)と『チェロ・スウィーツ 4.5.6』(1999)の録音が突如として現れた。そもそも『無伴奏チェロ組曲』の原曲自体、チェロという旋律楽器でポリフォニーを演奏させるという、相当に無茶ぶりな作品なのだが、それを“テナーサックス”という、およそバッハとかけ離れた俗っぽい楽器で演奏したことの意外性。しかも、録音場所は大谷石切場や釜石鉱山の地下空間といった、これまた通常の演奏空間とはかけ離れた“スペース”ばかりである。そして、それまでクラシックのカバー曲などほとんど録音したことがなかった清水が――ある時はバンド“マライア”のメンバーとして実験的なロックを奏で、またある時は北島三郎のために演歌をアレンジし、そうかと思えばボリス・ヴィアンにオマージュを捧げたソロアルバム『ロトム・ア・ペカン(北京の秋)』(1983)でハリウッド・サウンドへの愛情を惜しみなく表出し、気が付けばヨーロッパを渡り歩いてマイケル・ナイマンやデヴィッド・カニンガムといった連中と交流を深め、はたまた柳町光男監督『旅するパオジャンフー』(1995)のスコアでホンキートンクピアノから“アジアの酩酊”を引き出してみせた清水が――選りに選って“バッハ”という西洋古典音楽の大御所と対峙してみせたことの驚き。これはクラシックなのか、ジャズなのか、現代音楽なのか、はたまたイージーリスニングなのか。おそらく全国各地のCDショップで見られたであろう売り場サイドの戸惑いをよそに、結果として『チェロ・スウィーツ』2部作は大きな反響を巻き起こし、清水の代表作のひとつとなったばかりか、サックスによるバッハ演奏史は『チェロ・スウィーツ』2部作の以前と以後で完全に分断されることになった。それが証拠に、現在インターネットで「バッハ サックス」と日本語で検索すれば、検索結果の最上位には清水の名前が必ず入ってくるし、こと若手のクラシック・サキソフォン奏者に限って言えば、バッハ(の無伴奏作品)を吹かないプレイヤーを探すほうが、むしろ困難な状況となっている。
そんな『チェロ・スウィーツ』から約20年を経て登場した、今回の清水靖晃&サキソフォネッツの『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』である。この録音は、いかなる予備知識を持たずとも、純粋に音楽作品として楽しむことが出来るが、もしもリスナーの関心が“バッハ”や“クラシック”や“サックス”に特化している場合は、なぜ清水がこのような形態で演奏しているのか――つまり、バッハの原譜にない旋律を書き加え、原曲のリズムを変容させ、ソプラノ/アルト/テナー/バリトンというステレオタイプな四声体のアレンジを避け、サックス五重奏とコントラバス四重奏という意表を突いた楽器編成を用い、現在のクラシック録音の常識では考えられない異例の準備期間と録音日数を費やし、要するに何故“クラシック”を専門としていない清水が“サックス”という楽器で“バッハ”を吹くのか――疑問を持たれるかもしれない。その疑問に答えるためには、清水というアーティストの音楽に対するアプローチ、彼の言葉を借りるならば、音楽に対する“態度”まで、深く入り込んで考える必要があるだろう。
三角関係、態度、世界音楽、サキソフォネッツ
そもそも清水は、自分とバッハの結びつきを「バッハ、テナーサックス、スペースの三角関係」というコンセプトで捉えている。
「90年代半ば、それまでやってきた音楽を一度リセットしたいという気分があったんです。つまり、リズム、メロディ、ハーモニーで“構築”するのをいったん止めて、“態度”みたいなものだけで音楽が出来ないかと。たまたま、楽譜をチラチラ見ているうちに『無伴奏チェロ組曲』の楽譜があって、なんとなくテナーサックスで吹いてみたんです。『これはスタジオやコンサートホールじゃなくて、ふだん音楽のために使っていないスペースを見つけてやったら面白いな』と。そこから場所を探していくうちに『バッハ、テナーサックス、スペースの三角関係』にハマっていったんです。その中で、バッハとサックスの関係性は、はじめから崇高でないと思っています。崇高なのは、サックスとスペースの関係性ですね。バッハとサックスの関係性は“粋な黒塀”のユーモアというか、ちょっと歌謡曲的なところもあるんじゃないかな。バッハとスペースの関係性は(教会とか)すでにお馴染みでしょ? そうした三角関係から『チェロ・スウィーツ 1.2.3』が始まったのですが、もうひとつ、僕はバッハの音楽を和声の出発点として見ていない。ミニマル、ポリリズムの組み合わせだと思っています。もともと中学のブラスバンドで打楽器を叩いていたり、パーカッションを得意としていたので、ポリリズムの面白さでバッハを見ているところは常にありますね。とは言え、もしも50年前だったら、こういうアプローチでバッハに取り組むことは無理だったかもしれません。西洋中心主義が力を失ってきたから可能になった、ということもあります。ポイントは、そうしたアプローチが似合うか似合わないか、ということ。シェイクスピアを翻案した時に、その国に似合った演出が出来るか出来ないか。あるいは武満さんの『波の盆』みたいに、モリコーネっぽいけど譜割りは雅楽の様に、みたいなことが出来るかどうか。つまり、文脈やコンテキストの問題だと思うんです。ある文化をどう吸収し、どういう“態度”で表現していくか、ということが重要になってくるんじゃないかと」
そんな“態度”の優れた例として清水が挙げるのが、1955年――すなわち清水が生まれた翌年――に録音されたグレン・グールドの伝説的な『ゴルトベルク変奏曲』である。
「彼の血の沸きどころというか、アプローチの仕方に凄く共鳴するんですよ。グールドの場合はストイックなアプローチだったけど、僕の場合は三角関係を利用して、グッとくることをやりたいんです。つまり、はじめからドイツ古典主義でアプローチしていない僕らで、どういう文化が作れるか。もともと僕は、子供の頃からいろいろな音楽に対して同時に興味を持ちながら、それぞれの音楽が持つ意味、文化的意味に触れようとしてきた気がするんです。僕が生まれた近所では、すでにハワイアン、シャンソン、スパニッシュ、クラシックをやっている人がたくさんいた。ヨーロッパでもこれほど多様な音楽に溢れていないのに、なぜ、自分を含む日本人はこれだけの音楽に興味を持っているのか? フランスやイギリスに住んだ体験を通じて、そのことをいっそう強く意識するようになりました。ただし、その一方で、そうした多様な音楽が、いつの間にか個々のジャンルに収まってしまうという状況もあります。つまり、ロックの人はクラシックを聴かない。みんな、それぞれのジャンルに分化してしまう。その部分に関しては僕は違って、音楽の構造に触ろうとする欲求だけでなく、それぞれの音楽が持つ文化的なものに対して客観的・内面的に触ろうとする欲求が必ずあった。だから、僕の意識の中では(子供の頃と同じように)演歌も歌謡曲もバッハも、みんな“世界音楽”として同時に存在しているんです。80年代に“マライア”をやったり、あるいは映画音楽を書いたりしていくうちに、そうした意識は以前よりもますます強くなってきました。ロックをやってからバッハに行ったとか、歴史的に進化していったとか、そういうことでは全然ない。すべてを同時にやっているし、その傾向は以前よりもますます強くなっていると思います。結局は、すべて自分というフィルターから出てくる音なんですけれどもね」
そうした清水の同時的な傾向、彼の“世界音楽的”なスタンスを極端に強めるきっかけとなったのが、2005年にパリで開催されたハバネラ・サキソフォン・クァルテット(Quatuor Habanera)との共演である。このコンサートでは『チェロ・スウィーツS 1.2.3』が演奏されたが、「バッハ以外の曲も演奏して欲しい」という主催者側の要望を受け、清水は幼少期から関心を抱き続けていた五音音階を急遽プログラムに含めることにした。『チェロ・スウィーツ』の各曲と、コンサート直前に書き上げた五音音階の作品をサンドイッチする形で披露したところ、コンサートは大盛況となり、その成功が五音音階作品集のアルバム『ペンタトニカ』(2007年リリース)の制作、およびそれに伴う形での新生サキソフォネッツの結成(2006年)に繋がっていく。
「ハバネラとの演奏会では、バッハは当然上手く演奏してくれましたが、五音音階の曲では節回しの部分などに若干不満が残りました。(そこで演奏された数曲を基に)『ペンタトニカ』を作ることになった時、譜面に書き込むことが出来ない要素、演奏者に委ねなければいけない要素が増えてきたんです。いや、決して譜面に書けないわけではない。武満さんの場合だったら、テンポ20で64分音符を書き連ねて、オケに“コブシ”を演奏させるでしょう。でも、僕の場合はロックシーンを渡り歩いてきた人間だから、バンドのように肉体化し、そこから発展させるやり方、楽しさを知っている。もともと“サキソフォネッツ”というのは、デヴィッド・カニンガムのフライング・リザーズのような“1人バンド”だったんですが、いっそのこと、この機会に現実化してしまおうかと。もうひとつは邦楽的なアプローチ、肌触りをやりたかった。つまり、口写しの伝承です。譜面は見ているけれど、その時々の気分を反映させていくとか、場合によっては変容させてしまうとか。記譜と不記譜の中間くらいです」
『ペンタトニカ』制作のために清水が有志を募ったところ、集まってきたのが林田祐和、江川良子、東涼太、鈴木広志、の4人(もともと彼らは2002年から「ストライク」という四重奏団を組んでいた)。かくしてサキソフォネッツは、彼ら4人と清水からなる“現実の演奏団体”として再スタートを切ることになった。
「サキソフォネッツは、たまたま自分と4人という形をとっていますが、表現自体はサックス・クァルテット(の延長)とは思っていません。サキソフォネッツのスコアを他の団体が演奏しても、西洋古典主義のような“再現”はある程度出来るかも知れないけれど、誰もが再現できるわけではないサキソフォネッツのサウンド、サキソフォネッツにしか出来ないニュアンスというところに自信を持っています。クァルテットをやるにしても、単純に四声体にしちゃうとか、クラシックの奏法に嵌りすぎちゃうとか、そういうのではなくて、もう少しオープンマインドになったほうがいい。今のメンバーは『ペンタトニカ』を経験したこともあり、クラシックとはうっすら違うキャラクターを全員が持っている。要するに、演歌歌手と同じようなレベルの質感で勝負したいんです」
さらに今回の『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』では、4本のコントラバスという新たな“質感”がサキソフォネッツに加わることになった。
「コントラバスに関しては、変奏の基になっているバス声部をデフォルメするという意味合いもあったけど、そもそもサックスとコントラバスという組み合わせ自体があり得ないでしょう? 編曲しているうちに、途中から気分が変わってきて、句読点のように鳴らしたり、あるいは除夜の鐘が『ゴーン』と響くみたいに……。実際には通奏低音を弾いていない時間が長くても、仮想空間を広げながら通奏低音の存在を聴き手に想像させるような使い方もありなんじゃないかと。それと、今回のアレンジでは1本でも2本でもなく、どうしても4本入れたいと思っていました」
『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』初演から録音まで
5本のサキソフォンと4本のコントラバスのための『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』(第1稿)は2010年2月27日、すみだトリフォニーホールにて世界初演された。当日の演奏はNHK-FMで全曲録音がオンエアされたほか、いくつかの変奏をカットして約50分に抜粋されたダイジェスト版がNHK-BSで放映された(視聴者からの反響があまりにも大きかったため、わずか2年の間に8回も再放送されている)。この間も清水は「毎日盆栽をいじるように」楽譜に手を加え続けながら、あたかも来るべき全曲録音の登場を告げる“予告編”を流すかのように、2013年1月に鎌倉芸術館で開催されたサキソフォネッツのコンサートで<アリア>を演奏したり、あるいは彼が音楽を手がけたNHK土曜ドラマ『55歳からのハローライフ』(2014)で<アリア>を流したりして(サントラ盤未収録)、『ゴルトベルク』に対する並々ならぬ思い入れを伺わせた。
そして2014年、奇しくもアドルフ・サックス生誕200年と清水の生誕60年が重なったこの年に、『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』(第2稿)は全曲録音に向けて本格的に始動を開始する。清水がテナーサックスを1人で多重録音した『チェロ・スウィーツ』の時と異なり、今回は4本のコントラバスを美しく響かせることが出来るスペース、という条件を予め考慮する必要があった(つまり、砕石場や地下駐車場のような広大すぎる空間ではコントラバスの音が濁ってしまう)。そのため、清水は録音前にいくつかのホールを実際に回ってロケハンしたが、最終的に彼が選んだのは岐阜のサラマンカホールである。
「90年代の終わりに『チェロ・スウィーツ 4.5.6』の録音ドキュメンタリー番組を作ったのですが、イタリア、パドヴァのヴィラ・コンタリーニの宮殿(注:チェロ・スウィート No.5の録音場所)で僕が音出しをしている映像に、オルガンの即興演奏を付けたくなったんです。その時に初めて知ったのがサラマンカホール。モニターで映像を見ながら、サラマンカのパイプオルガンを弾きました。それから15年近く経つけれど、空間の響きの良さはしっかり覚えていたので、改めて聴き直しに行くまでもなく決断しました」
もうひとつ、清水がサラマンカホールを選んだのは、プレイヤーのほとんどが音楽活動と生活の拠点にしている関東から、物理的に彼らを隔絶し、音楽に集中させる環境を用意する必要があったからである。
「まず、この音楽をやる意味をわかってもらって、その意味を納得してもらうまで追求する。そういう作り方は、都内に近いスタジオの録音ではダメなんです。日常を断ち切ることが出来ないから。要するに、ロックバンドとしての録り方。80年代にハワイで録音した“マライア”と、方法論的には同じです」
6月14日、今回の録音に参加するプレイヤー全員と録音スタッフが集結する、初めての顔合わせが催された。サキソフォネッツの不動の5人とコントラバスの佐々木大輔、倉持敦は2010年の初演を経験済みだが、中村尚子と宮坂典幸は今回が初めての参加である。この“決起集会”において、清水はメンバー全員のパート譜を持参し、それをメンバーの1人1人に直接手渡すという“儀式”を執り行ったが、それが“バンド結成”を意味していることは、傍目から見ても一目瞭然だった。壁際の液晶ディスプレイには、『55歳からのハローライフ』のエンディング――偶然にもその日が初回放送だった――が映し出されている。エンディングで流れる<アリア>の演奏に注目するメンバーたち。テレビの音楽を、それを手がけた本人を前にしながらリアルタイムで視聴するというのは、それ自体がすでにシュールな体験だ。同じ場面をリアルタイムで見ている全国の視聴者のかなりの数が、<アリア>を演奏しているのは清水のテナーサックスだと気付いているに違いない。しかし、その“続き”があることは、視聴者は誰もまだ気付いていない。“続き”を知っているのは、他ならぬここに居合わせた“バンドメンバー”だけなのだ。いかにも彼らを武者震いさせるような、清水ならではのグッとくる“バンド結成”であった。 サキソフォネッツとコントラバス・チームの個別リハーサルを経て、7月上旬、全曲を通す初のリハーサルが都内某所で行われたが、その時、コントラバスのまとめ役を務める佐々木が清水に質問を投げかけた。
「これ、原曲と内声を変えてますよね?」
「変えてる。ずいぶん変えてる」
その瞬間、佐々木の表情が大きく変わった。おそらく彼だけでなく、メンバー全員がこの時、覚悟を決めたはずだ。自分たちがやっているのは、単なるバッハのアレンジではなく、新しい別の音楽を生み出すためのクリエイティヴな作業なのだと。
かくして『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』は、2014年7月14日から18日までの5日間、サラマンカホールにて収録が行われた。ほとんどが演奏時間2分に満たない小曲を32曲(アリアおよびアリア・ダ・カーポと30の変奏)録音するのに、それほどの日数を掛けるのかと贅沢に感じられるリスナーもおられるかもしれないが、5日間のほぼすべてのテイクに立ち会うことが出来た筆者に言わせれば、これでもギリギリというか、むしろ時間が足りないくらいである。1日平均6曲録音、1曲あたり1時間を費やしていけば間に合う計算になるが、現実はそうはいかない。そもそも、曲ごとに楽器の持ち替えが要求されるし(次項以降の清水本人の楽曲解説を参照のこと)、プレイヤーの位置を大幅に変える曲もある。加えて、先に触れた「ロックバンドとしての録り方」。録音チームを含むメンバー全員が納得するまでテイクを重ね、時には調整卓の前で演奏を聴きながら議論を重ね、清水が言うところの「いい意味での民主主義」に基づいて曲を完成させていくセッションを32回も繰り返すのは、はっきり言って気の遠くなるような作業である。そして、是非とも強調しておきたいのは、5日間の全セッションにおいて、清水が“バンドリーダー”としての強権を一度も発動しなかったことだ。
録音から完成まで実に約3時間以上を費やした変奏もあれば、逆に録音から完成まで10分もかからない変奏もあったが、サラマンカホールで収録された総テイク数396という膨大な量の録音データが、このプロジェクトに注ぎ込まれた凄まじいまでのエネルギーと情熱を端的に示している。
アレンジについて
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の原曲については、各種音楽書やインターネットなどで容易に解説を読むことが可能なので、そちらに譲りたい。基本的に、清水の『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』はバッハの小節構造をそのまま踏襲する形でアレンジされているが、前半Aと後半Bのリピートの扱いは各変奏ごとに異なる。また、リピートする場合も、機械的な反復をすることはほとんどない(第20、28、29変奏を除く)。最初のアリアを例にとると、バッハの原曲を記譜通りに演奏すれば、リピートは A :|| ||: B :|| 、すなわちA-A-B-Bとなるが、清水はA-A’-B-B’と変容を遂げていく形でアレンジしている。
Yasuaki Shimizu’s Bach, and Bach’s Yasuaki Shimizu, are back at last. … A brilliant sax and bass ensemble with a different feel again to that of the Cello Suites – naturally with plenty of curve balls thrown in.
— Intoxicate
Shimizu’s sound is a sensual pleasure, a balm to both ears and mind. A beguiling 66 minutes that never falter.
— Stereo
Johann Sebastian cloaked in a stylish kimono: welcome to the “world music” future of Bach.
— CD Journal
The nuances and tempo of each Variation evolve in exhilarating freestyle fashion. Utterly compelling … lures us away to myriad destinations….
— Net Audio
Classical music, yet somehow different. The “difference” is what makes Shimizu’s music what it is.
— The Mainichi Shimbun
The novel combination of sax and contrabass gives the mix of tone color and three- dimensional spatial expression fresh allure…. Bach’s Variations expand in relation to the listener’s capacity.
— Audio Accessory
Shimizu’s explorations that began with the Cello Suites reach their pinnacle here.
— Realtokyo
プロデュース:清水靖晃
作曲:J.S. バッハ
編曲:清水靖晃
清水靖晃:テナーサキソフォン
林田祐和:ソプラノ、アルトサキソフォン
江川良子:アルト、ソプラノサキソフォン
東 涼太:バリトンサキソフォン
鈴木広志 :バリトン、テナー、アルトサキソフォン
佐々木大輔、中村尚子、宮坂典幸、倉持敦:コントラバス
レコーディング・ディレクター:小野啓二 (オクタヴィア・レコード)
バランス・エンジニア:村松健 (オクタヴィア・レコード)
録音:2014年7月14日〜18日、サラマンカホール、岐阜
マスタリング:村松健、エクストン・スタジオ横浜
Produced by Yasuaki Shimizu
Composed by J.S. Bach
Arrangement: Yasuaki Shimizu
Yasuaki Shimizu (tenor saxophone)
Hayashida YuKazu (soprano, alto saxophone)
Egawa Ryoko (alto, soprano saxophone)
East Ryota (baritone saxophone)
Hiroshi Suzuki (baritone, tenor, alto saxophone)
Daisuke Sasaki, Naoko Nakamura, Miyasaka Noriyuki, Atsushi Kuramochi (contrabass)
Recording Director: Keiji Ono (Octavia Records)
Balance Engineer: Ken Muramatsu (Octavia Records)
Recording: 14 to 18 July 2014, Salamanca Hall, Gifu
Mastering: Ken Muramatsu, Exton Studio Yokohama