MUSIC FOR COMMERCIALS
元々CMのために作った、妙でなんとなく日本的なインスト曲集。サウンド・コラージュやさえずるコンピューターで音楽のジャンルをダッシュで横断する清水。長くても2分の曲が23曲、そしてCGアニメ短編のために書き下ろした曲が一つ収録されている。
A collection of pieces originally composed as soundtracks for Japanese TV commercials. Hit-and-run sound collages, twittering computers, energetic ricocheting between myriad styles of music. Features twenty-three tracks clocking in at two minutes or less, plus one piece composed for a computer-animation short.
ミュージック・フォー・コマーシャル・プレスブック|2017年10月2日
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エクストラ・ミュージック・マガジン|2018年5月2日
70年代後半から80年代、テレビコマーシャルは、商品の実用性に関するディテールをアピールするのではなく、その企業のイメージを戦略的に作り上げようとする風潮がありました。その手法は─言い過ぎかもしれないけれども─ある意味で音楽的な手法といえるのではないでしょうか(視覚的な表現に関して)。
30秒とか15秒とかいった短い範囲が決められているだけに、直観力を磨くという練習には最適な仕事だと思っていました。このアルバムはあえてリミックスせずに、当時の最終的な録音状態のまま収録してあるのですが、ただ、一曲一曲のつながりおよび全体のムードに関してかなり力を入れたことを覚えています。
CM音楽に現れる「清水靖晃」の個性
伝神写照、山水を背景に佇む漢服の大人(たいじん)がウィンクする。流れるは心地好い木琴の音色。どこかユーモラスな中国古画風のイラストレーションが印象的な、サントリー烏龍茶の初代TVコマーシャルが放映されたのは1984年。僕はまだ中学生だった。それから何年も経ったある日、記憶の奥に眠っていたあの漢服の大人をジャケットにあしらった、『Music for Commercials』というアルバムを手にした。あの木琴の音楽を作ったのは清水靖晃だと、そのときはじめて知った。
僕は80年代に多感な青春期を過ごした。結構なテレビっ子だったのだが、当時のTVコマーシャルは子供心になかなか刺激的だった。ノエビアのCM音楽に使われていたDavid Bowieにハマり、マクセルのCMで情熱的にピアノを弾く岡本太郎に度肝を抜かれ、音楽やアートに興味を持つきっかけのひとつになったのもCMだった。ブランドのイメージを抽象的に表現したものや、商品の想像すらつかないが目を惹きつける、魅力的なCMが多く登場しはじめたのもこの時代だ。前述のサントリー烏龍茶のCMも、清水の音楽を起用しながら「夫婦編」、「家族編」、「幸福編」と物語のように1987年まで続き、その後も中国本土で撮影されたさまざまな美しい映像を使用しながら、30年以上にわたって放映されるロングラン・シリーズとなった。「広告の提供者であるスポンサーに創作者としての自覚が芽生え、広告自体をアート作品と捉える意識が生まれはじめた」と、清水は当時を振り返る。そんな時代に清水がCMのために提供した楽曲をまとめたのが、『Music for Commercials』だ。
清水は1982年から1983年にかけて、ソロ・アルバム『案山子』、ロック・バンド、マライア最後のアルバム『うたかたの日々』、清水靖晃&サキソフォネッツとしての初のアルバム『L’Automne à Pékin 北京の秋』といった挑戦的な作品を立て続けに発表し、あらたな局面を迎えていたのだが、その間にも多くのCM音楽の制作に関わっていた。1985年に活動の本拠地をパリに移したときも、CMのために制作した膨大な数の楽曲を収めたカセットテープを、資料として持ち込んだそうだ。清水はパリで多くのアーティストと交流を持つなか、Crammed Discsレーベルを主宰するMarc Hollanderというベルギー人の音楽家に出会った。Marc Hollanderは、Chris CutlerやFred Frithも参加したアヴァン・ロック・グループ、Aksak Maboulの中心メンバーとして奇天烈な作品を残している異才のアーティストにして、独自の審美眼をもつ名プロデューサーだ。1980年にAksak Maboulのセカンド・アルバムを皮切りにスタートしたCrammed Discsは、ベルギーのみならず各国のユニークなアーティストを発掘しては作品を発表し、その数は現在600タイトルを超え、ヨーロッパ屈指のインディペンデント・レーベルとして世界的な認知度を誇る。Marc HollanderにCrammed Discsからのアルバム・リリースを打診された清水は、それまでにリリースされていない作品をまとめていくつかの提案をしたところ、Marc HollanderはCM音楽をまとめた作品に注目し、その後、楽曲の選定や曲順の検討を重ね、1987年に『Music for Commercials』として発表するに至った、という経緯だ。Crammed Discsにはいくつかのサブ・レーベルがあるが、なかでもコンポーザーにスポットをあてたMade to Measureは、Hector Zazou、Arto Lindsay、Benjamin Lewなど、多彩な音楽家によるジャンルレスな作品を発表しながらも、ブレのない美意識が貫かれた名シリーズだ。『Music for Commercials』もこのMade to Measureから発表されたのだが、数々の名作が並ぶそのカタログのなかでも際立つ存在感を放っている。
「Ka-Cho-Fu-Getsu」を除いて、『Music for Commercials』に収録されている楽曲のすべてはCM音楽という特性上、30秒から2分ほどの小曲となっている。大半は1981年から1984年にかけて作曲されたもので、そのほとんどが『案山子』、『うたかたの日々』、『北京の秋』で清水が取り組んだ手法や意匠と同一線上にあると言える。楽曲の多くに漂う不思議な民族情緒、どこか懐かしみを覚える音階。たとえ商業目的の音楽であっても、清水のなかではすべてが隔てなく生み出されていたことがわかる。それはまるで、『案山子』から綿々と続く5音音階探求の旅を辿っているかのようだ。「Boutique Joy」、「Ricoh 1」、「Shiseido」、「Seiko 5」、「Sharp」などは、『案山子』や『うたかたの日々』のパズル・ピースのようでもあり、『蝶々夫人』のアリア「ある晴れた日に」をモチーフにした「Knorr」、オペラ調の「Seibu」は、アメリカン・スタンダードを皮肉めいたエレクトロニクスでカバーした『北京の秋』と同様の遊び心に溢れている。表層は異なれども、「Seiko 1」、「Sen-Nen 1」、「Sen-Nen 2」などからも『北京の秋』のニュアンスを感じることができるし、「Bridgestone」の一連作では、のちに清水がサキソフォネッツなどで展開するライブ・パフォーマンスを予見させるような、アヴァンギャルドな意匠を垣間見ることができる。「Seiko 2」、「Seiko 3」、「Seiko 4」などでは、アンビエント、ニューエイジ、現代音楽におけるミニマル・ミュージックにも呼応している。また、多くの楽曲でProphet-5などのシンセサイザーやEmuの初期型サンプラーが用いられているが、そのストラクチャーは同時代の細野晴臣にも共通するところで、Trevor HornがArt of Noiseをはじめたころと同時期、いや、それ以前にこのような音作りを実践していたわけで、いかに革新的で先見性に富んでいたかがわかるだろう。
清水が手がけたCM音楽とその映像の関係に言及すると、たとえばタチカワ・ブラインドのCMでは、電子音でシュミレーションされた小鳥のさえずりやシンセサイザーの鮮やかな音色が、女性モデルのカラダに細やかなボーダーの影を描くブラインド越しの柔らかい光と調和している。ラオックスのCMでは、ビデオカメラを手にしたボディースーツ姿のモデルが円錐状に組まれた光るパイプをまとい回転する映像に、未来的なエレクトロニック・ミュージックがリンクし、映画『ブレードランナー』で描かれたような奇妙なサイバー・シティ東京のイメージが出現している。銀座ブティックJOYのCMは、鎧を身にまとい刀を抜く女性モデルの映像に、百人一首の一節を詠うナレーションと無国籍な民族調の音楽という、なんとも不思議な世界観だ。それらはまるで、15秒から30秒という制約のなか生み出されたアート・フィルムのような趣だ。また、唯一の長編曲「Ka-Cho-Fu-Getsu」は、短編アニメーションのサウンドトラックのために制作されたもので、春夏秋冬の自然が綴られた映像のイメージをさらに拡大させる有機的な音物語だ。清水は映像のための音楽の作曲について、「私は映画に限らず映像に関わる仕事が根っから好きなのです。銀幕やTVモニターに映る映像に染み入る「音」。無音と有音の対比で広がる空間。私にとって映像は覚醒時の夢でしょうか。」と語っている。清水にとってそれは水を得た魚のようであり、映画『チャイナ・シャドー』(1990年)をはじめ、記憶にあたらしいところではテレビドラマ『みをつくし料理帖』(2017年)など、その後の映像作品との関わりの多さを見れば瞭然としている。
こうして、清水が残したCM音楽を1枚のアルバムとして聴いていると、弥が上にその先の展開を妄想せずにいられない。悠久なる時の流れ、広がる風景、見果てぬ桃源郷、都市の影、サイバー空間、様式美の破壊と再構築・・・。わずか1分ほどの小曲であっても、多いにイマジネーションをかきたてられるものばかりだ。「私は純粋に商業目的で音楽を作曲するという事がなかったように思えます。もし、ガチガチの商業目的のCM音楽の依頼があったとしても、隠れて何か遊びを入れて意味を変容させちゃう。多分そうしないと生きていけないかもしれません。」と清水が語るように、「創作者」、「提供者」、「消費者」という三角関係の意識融合が成立した80年代の広告業界を背景に、清水は自由に音楽を作曲し、ときにはスポンサーからのリクエストがあったにせよ、CM音楽にありがちなキャッチーなセールス・アプローチをすることなく、すべての楽曲を「清水靖晃の音楽」として成し得たのだ。大量消費社会への皮肉を込めながらも茶目っ気たっぷりに、清水はそれを「お買い物芸術への敬意」と呼ぶ。
Chee Shimizu(DJ/音楽プロデューサー)
TV commercials in the late 70s and 80s didn’t advertise the practical features of products, they were meant to build strategic corporate images. You might even say they took a musical approach in their visual expression, though perhaps that’s an overstatement.
Being restricted to a short 15 or 30 second span made it ideal work for refining my intuitive powers. I made a conscious choice not to remix the tracks for this album: the final version of the original recordings appear here untouched, although I do remember working to link the individual tunes, and on the overall mood.
作曲/演奏(ヴォーカル以外)/プロデュース:清水 靖晃
レコーディング/ミキシング:笹森英樹、大野映彦、柳原康、浜崎則如、大川正義、小野誠彦、川部修
Composed, performed (except vocals) and produced by Yasuaki Shimizu
Recorded/mixed by Hideki Sasamori, Eihiko Ohno, Yasushi Yanagihara, Noriyuki Hamazaki, Masayoshi Okawa, Seigen Ono, Osamu Kawabe